読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Boys Love Institute

ノンケ男がBL世界や雑談をだらだら綴るブログ

ブログ記事でPV数と収益金額を公開する事について感じた事を書き記すエントリ

僕が購読しているブログのいくつかで、同じ話題が扱われていて、自分も同じ話題を最近考えていたなぁと云う事を思い出したのです。これは書かにゃあなるまいと云う事でiPhoneをとった次第です。

話題の構造

勝手にいくつかの記事をピックアップさせていただきました。書かれた方々の意図はそれぞれあると思うのですが、構造を単純化するためにザクっと二分してみたいと思います。あ、迷惑だから消せって事でしたら速やかに対応しますよ。

PVや収益獲得をブログ運営の目標とする勢

はてな界隈にはこういう向きの方が多いように感じます。が果たして本当にそうなのか、と疑問を持ち調べるまでもなくそうではないと結論づけました。つまり、はてな界隈で見えている数が多いだけで元々多いのでは、と。

 と云うのも、そもそもネット/webの存在の根幹に刺さっているテーマであり、ほぼ本質に近い話題じゃないかと思うんですよね。

 1995年のWindows95発売を起爆剤としてインターネットはコンシューマ化し、勝手サイトが様々な形で創られ消えて行きましたよね。時代はたまたまweblogなる発明を選び、情報拡散の手段の1つとして採用しましたか、ブログという概念が登場する遥か以前からメディアはその拡散の程度を数値化し評価してきましたし、収益化してきました。

 判りやすい例は新聞でしょうか。

 発行部数○○万部、なんて言い方は一般化して久しいわけですよね。その指標を取り沙汰する際に、どれ程熱心に読んだのか、どれ程内容を理解したのかはさして重要ではなく、如何な多くの人々がお金を払ってそのメディアを手に入れたのか、いや価格さえも必須条件ではなくなりメディアを手に入れた人数だけで価値の指標足り得ちゃう事になってしまいました。多くの人々が手に入れるメディアに情報を載せたいと云うニーズが存在するからですね。

 物流を介さず無料(と感じられる方法)で発信可能なメディア(Website、Blog)に、お金の匂いがせずして何が匂いましょうや。

 より多くの人々に手渡す事が可能なメディアに価値があると云う考え方なので、メタ情報や背景はどうあったとしても価値決定に大きな影響力はないのかもしれません。

ブログ運営とおカネの直結行為に辟易している勢

さて、ブログがメディアとして、あまりに当たり前過ぎる性質を獲得して発展する一方で、歴史上これまでにないスピードで大衆化しました。しかも、発信側の立場が、です。

 出版と云う行為は同人誌や個人誌と云う形を取りはしたものの、誰でも彼でも気軽に参加し発信する程の平易さは獲得出来ませんでした。

 やはり、流通と云う既得権益を守る勢が存在する以上、どうしても限界到達が早かったんでしょうね。なんの限界か。

 情報拡散規模の限界。

 この限界はメディアとしてはネガティヴな評価ですがその反面、先鋭特化すると云う側面においてはポジティブな影響となりました。

 純粋に発信者の想いを載せるには、むしろ限られた言論空間が向いていた、と云えるんじゃないでしょうか。

 そこには、金銭的価値よりも大事なものが存在し、発信者のアイデンティティこそ最重要であると云う共通認識が支配するわけです。

 書きたい文章を書き、読みたい人が多い情報に価値があるわけなので、そのメディアが持つ集客力や拡散力が歓迎される事はありこそすれ、必須条件ではないのかもしれません。

ブログにとってPV数はどの程度意味があるのか?

この話題明らかに価値基準が違う2人の痴話喧嘩みたいなものですよね。ブログに求める完成形が違うのに、会話が成立するわけがありませんわ、と思うわけです。

 自分が「1番重要視したい」事は、相手にとって「まあ、あるに越した事はないけど、どうしてもか?って云われたら、サイアク無くてもいっかな」程度の事だとしたら?

 こう云った行き違いと云うか不幸なすれ違いは、日々そこかしこで起こっているようなどうと云う事のないありふれた出来事なのに、ことブロガー達の間で語られるとこんなにも瞬間的に湯が沸くのだから不思議ですw

 僕の感覚で云うと、公開されている集客ノウハウやSEOのテクニックは、公開された時点でその効果が急速に失われていくのであまり役に立たないんだろうなーと感じます。

 10万円儲ける為に必要なカロリーと云うか投資は、基本的に10万円より安いですよね。まあ、広告的に考えるなら、ザックリ25%以上の投資になっちゃうと割が悪いんじゃないです?

 つまり、25,000円(未満)かけて収益は4倍の10万円稼ぐと。個人にとっての10万円はそりゃまあまあ高いと云えるかもしれませんが、商業活動としては超小さいですよね。

 それくらいの収益のノウハウだから、多く流布するし他人に云いたくもなる、んだろうなーと思っています。これが、300万円の話、1000万円の話となると、ブログ程度の無料メディアで公開しないでしょう。

 少額収益の話題なら具体的にしても発信側の倫理は侵される事がないし、むしろタブーにメスを入れたかのようなうっすらとした背徳感を感じる人もいたりと、充分にコンテンツ的価値が成立するって事です。

 PV至上を掲げる人々にとってPV数値は、あくまで数値的な意味にとどまると思うんですよね。いわゆる分母。

 記事の内容に対するリアクションを期待すると云うよりは、記事タイトルでいかに興味を引きついアクセスしてしまうようなアクションを誘発するか、と云う点に運営側の意識は集約されるイメージ。

 もちろんそうは云っても、拡散してくれたり読者登録してくれたりすれば更に次回のアクセスのハードルが下がるわけなので、内容もそこそこ面白い必要がありますが、ライトな楽しみである事が求められるのも事実でしょう。

 より大衆的なマス・エンタメは、尖っていてはいけないからです。最大公約数的娯楽が、正解。

 PVや収益獲得をブログ運営の目的とする勢にとってのPVとは、正に娯楽最大公約数化の指標、ってのは如何でしょうね。

 しかし、ブログに集金機能を強く求めない人には、娯楽の最大公約数化が必ずしも望ましい事とは云えないと思います。娯楽を因数分解して素数(たる要素)を取り出し、その性質をひたすらに磨いた結果他人に受け入れられた「程度の目安」として、PVを捉えているんじゃあないかなと。

 ブログ運営とおカネの直結行為に辟易する勢にとってのPVとは、同方または信者を巻き込む為の自分先鋭化の指標、ってのは如何でしょうね。

収益の額面を発表する事は下品なのか 

日本においては下品です。がしかし、それは日本的感覚の特徴の1つで、ドリーミンな甘さでもあります、と思うんですね。

 例えば海外で「ギャラリー」は絵画の販売店舗的役割が強く商業活動の場であるのに対して、日本では芸術を楽しみ勉強する文化的活動の場である(と考えられがち)、など。

 純粋な感性の発露として絵画を制作する事は本当に素晴らしい事だと思います。好きで描くのならそれは精神的に健康な行為でしょう。

 しかし画家は絵を売らなければ生活出来ませんから、自分の作品に値段をつけなければなりません。

 何より画家でい続け描き続ける為に。

 ブロガーでい続ける為に自分のブログに値段つける必要、収益の程度を設定する必要がない人がそう云った話題を取り扱う事に、日本的道徳は下品さを感じるように出来てるんじゃないかなあ。

んで、お前はよ、あんっ?

最近のはてな界隈をウロウロしながら、こんな感じの事を考えていましたが、僕のスタンスはどうかと云えば、極めてズルい着地をいています。

 つまり、「もっともっとヤってー!」と云う気持ちです。しかし、喧嘩を焚きつけたいわけじゃありませんよ。もっと議論して欲しいって事です。

 はてな界隈には、二極化した話題でも比較的冷静なエントリで論戦が発生しているようでして、一方の主張だけに偏る事なく読んでみると、物凄く楽しいんですよね。

 自由な言論空間。

 はてな界隈が好きな理由の1つがコレです。まあ、時々は詰まらない中傷もあるみたいですが、興味なく視線が滞空しないのであまり詳しくありません。

 そうやって色々の意見を読みながら、やはり自分の意見はあまり変化しませんでした。

僕の意見

僕は、個人レベルでの数字の話は好きではありません。云い方を変えると、個人程度の数字には興味が薄い、ですかね。

 もちろん、数字には攻略感が付き物で小さなゴールを少しずつ達成していく楽しみが存在している事は知っていますし、あるジャンルではそう云った数字攻略が好きだったりもします。

 ブログで1番気になるのは、やはりダントツで「継続性」や「継続率」でしょうか。日々のアクセス数は外的要因で左右されやすいし、内容とは無関係な欲求による誤爆アクセスも含まれるなど、ノイズが多過ぎて何とも心許ない指標にしか感じられないんですよね。

 それよりはリピータの比率や実数、ツイートによる感想の言葉など、具体的なリアクションが感じられるモノに反応しがちです。

 あ、このブログは全然反応されてないですけどねw。そう云う意味で僕は、ブログ運営とおカネの直結行為に辟易している勢、に寄っています。

 お前思いっきり広告貼っとるやんけ。

 ィヤスッ!!

 何故なら、広告の管理ツールが見たいからです。はぁ?と思われるかもしれませんが、僕は各種webサービスの管理画面を見る為に、かなりの種類の課金システムを実際に使って評価しています。

 もはやそれそのものが趣味でもありつつ、うっすらと仕事にもフィードバックしています。人々の欲求のシステム化は色々の方法論があって、収益獲得・管理に関するサービスの場合は、システムの品質による効果の差が如実だなあと感じているんですね。

 繰り返しますが、本職ではなく趣味です。

最後に

とにかく書きたい事は書きました、と思います。後でPCで読み返して違和感を感じたら修正するかもしれませんが、切り取った「今」は、遺せた気がします。■■

議論の作法 (文春新書)

議論の作法 (文春新書)

 
Boys Love Institute
written by つよ