遂にと云うかやっとと云うか、24年組について書く時がやって来ました。ご存知でしょうか、24年組と云う単語。少女漫画史を語る上で、いや漫画史そのものかな、外す事の出来ない創作集団の名称です。ムーブメントとも云えるかもしれません。古い話なので、今のお若い漫画読み諸氏には、新鮮な話題となりうる事を期待して。
先に書いておきますが、24年組の事を書くのは、竹宮恵子先生の作品「風と樹の歌」について記事を書くためのネタフリです。
24年組ってナニ?
最近ではあまり聴く事のないこの言葉、漫画史的重要度AAAクラスの概念です。
24年組(にじゅうよねんぐみ)は、昭和24年(1949年)頃の生まれで、1970年代に少女漫画の革新を担った日本の女性漫画家達の一群を指す。「花の24年組」とも呼ばれる。
24年組 - Wikipedia
つまりそう云う事なんです。
少女漫画界はある時一斉に24年組の作家達によって、正に革新とも云える変革を迎えます。それ迄到底たどり着けなかったテーマや表現を、コレデモカ!コレデモカ!とドンドン発表し、漫画が持つ可能性の地平をむっちゃくちゃ押し拡げたんですよ。
今では考えられませんけど、その頃迄の少女漫画は、多く男性作家が描いていましたし、類型的でベタベタな物語が殆どだったそうです。
革新は2人の手から
発端となったのは、竹宮恵子、萩尾望都、の当時デビューもしていない漫画マニアの2人。この2人が、デビュー前から友人関係だったと云う事だけでも驚きですな!
手塚治虫が漫画のプロを育てる目的で漫画専門誌として創刊した「COM」に投稿をしていた竹宮先生が、友人であった萩尾先生と共に上京、共同生活を始めるのです。
2人の目的は、漫画で身を立てる事と少女漫画版のトキワ荘を作る事で、これが後に「大泉サロン」と呼ばれる24年組の溜まり場となっていきます。
大泉サロン
もうね、僕がこの時代に物心ついていなかった事が残念で残念で。
1970年から1973年が主な活動の期間ですが、それは単にアパートで2人が同居していた期間と云う意味らしいです。このアパートに、革新を望む若き作家が集うわけです。
なんか、ドキドキしません?こう云う展開。
大島弓子先生、山岸凉子先生、を筆頭に、今となっては少女漫画界のレジェンド級ビッグネームが、大泉サロンで漫画の未来や可能性について議論したり、時には互いの作品制作を手伝ったりしていたんですね。
正に少女漫画版トキワ荘。
作品の特徴
一応、少女漫画と云う単語を使いましたけど、彼女等の作品は少女漫画の枠に収まる印象ではありません。特に僕が大好きな竹宮先生は、SF作品も多く発表されていますし、少年誌の連載をお持ちだった事もあります。
「地球へ…」は、2007年にTVアニメ化もされていましたね。竹宮先生28歳の時の作品です。
竹宮先生に限らず、24年組の作家陣はジャンルにとらわれず自由なテーマをドンドン描かれたので、24年組登場以降は少女漫画の幅が格段に拡がり、男性読者も多く獲得する事になりました。僕もその内の1人と云う事になりますね。
そして、その多様なテーマの中に、少年愛、同性愛、も含まれていたわけです。1977年、週刊少女コミックにて竹宮先生は、後にBLの始祖と云われる作品「風と樹の詩」を連載開始するのでした。
最後に
ふう。取り敢えず書きました。これで、思う存分「風と樹の詩」の事を書けます!
24年組については、まだまだ書きたい事があるのですが、またいずれ。■■